紙 芝 居

    

                                            ( 布下 満 作 )

 

十文字平和教会 礼拝堂 設立の歴史

 




世界で  ただ一つ

紙芝居による

礼拝堂設立の物語を ご覧いただけるお部屋

 

教会員で画家の 布下 満(ぬのした みつる)兄が

ひと晩で書き上げた

 

たぐいまれな 作品です

 

時空を越えて

ゆっくりと ご覧ください。

 



 

 

岡山県の中央部に、

日近(ひじかい)という小さな村がありました。

 

山々に囲まれ、水清く、陽の光やわらかく、

まことに雨土(あめつち)の恵みにあふれておりました。

 

土を耕す多くの人は そのことを知ってかいつの頃からか、

この地を 日近(ひじかい)と呼ぶようになりました。

 

 

さて、ここに一人の僕(しもべ)があって、

神を知る人となって、

十文字山の頂きに

藁(わら)ぶきの教会堂を建てました。

 

松風の蕭々(しょうしょう)と流れ来る、

まことに祈りにふさわしい教会堂でした。

 

ウグイスが鳴き、セミ鳴きて時が流れ行きました。

 

 



 

 

また、一人の牧者があって、鍬(くわ)と聖書を携えて、この山に来ました。

幼子たちの小さな心に、み言葉の種をまきました。

 

三々五々集まり来る子供たちは、

手を合わせ、神のみ名を小さな口で歌いました。

 

霜が降り日照りがあって長い時が流れ行きました。

わらび生え、栗が実って年を重ね行きました。

 

 

 

 



 

 

あれからもう何年でしょう。

 

50年も経ったかも知れません。

 

藁ぶきの教会堂は、朽ちて傾き、

年老いた牧者も、頭白くして 天に召されていきました。

 

後を継ぐ 若き牧者は、

この地と人を置いて 遠くの地に離れて行きました。

 

雨が降り大地を洗い、

〈タラグイ〉と〈グズ葉かずら〉が地を覆いました。

 

 

 



 

 

牧者と教会を無くした 一握りほどの兄弟たちは、

まさしく、

おおかみの群れの中の 子羊のさまに 似ていました。

 

もし、

神様のみ旨(むね)でなければ、

か弱き芽はいばらに包まれて そのまま朽ち果てるでしょう。

 

        *

 

そんな頃、新しい牧者がこの地に遣わされることになりました。

 

確かな神様の計画がそこに働いていたのです。

 

神のことばの他、

すべてを捨てた伝道者の固い決意を兄弟たちは知りました。

 

大きな喜びを抱きつつも、

 

どうやってお迎えするかについて、

多くの戸惑いがありました。

 

 

 



 

 

さて、ここにもう一つの山がありました。

 

その頂きから 北を見渡せば、

その昔、

藁ぶきの教会堂の建てられた 十文字山が見えるでしょう。

 

そこから、

東にかけては日近(ひじかい)の村々があり、

西にかけては大井の村々が見渡せるでしょう。

 

南の連なる山々の向こうには、岡山の街も見つかるでしょう。

 

こんな場所に、

新しい教会が建つといいのになあと思うでしょう。 

 

そして、そのことが良しとされました。

 

3000坪の山地が

 

世の常識をはるかに超えた、

安い代価で教会のものとして献げられました。

 

その恵みのことは、また別の時に話しましょう。

 

人間の思いでなく、

神様のご計画について多くを語らねばならぬでしょう。

 

 

 



 

 

さあ、教会の建つべき土地は出来ました。

 

しかし、いったいこの山に、

どう建てようというのでしょう。

 

土を削るにはブルドーザーを要し、

土を運ぶには車を要し、

 

車が通るには道を拡げ、

橋を渡さねばなりません。

 

すべてがお金で動く世の中で、

無一文の兄弟たちに どんな力があるでしょう。

 

夏のカンカン照りの中、

払い下げた線路の枕木で 橋を渡し、

ブロックを搗(つ)いて 道を拡げました。

 

かつて少年の日、

十文字山で洗礼を授けられた者が、

 

今、

屈強の若者になっていたからです。

 

 

 



 

 

 

橋が架かり、道が通り、

中古のブルドーザーを購入することになりました。

 

このブルドーザーが どうして手に入ったかについては、

多くの知られざる祈りと 献金があったのは

言うまでもありません。

 

黄色いブルドーザーが、
山に落ち着いた日、

 

山から山にまたがる二条の虹が、
ブルドーザーをかばうように架かりました。

 

このことを人は偶然と呼ぶでしょうか。

 

 

 



 

 

 

その日から毎日ブルドーザーは 山を這い回り、
岩をうがす音が鳴り響きました。

 

造成を進めるために

一兄弟は職を捨てました。

 

今あるどの石、どの土にも


彼のつぶやきと、

苛立ちと祈りの汗が染みこんでいるのを 
忘れることは出来ません。

 

なまやさしい 奉仕というものではなく


神と自己との対決の日々であったように

思えてなりません。

 

 

 



 

 

 

さて、この小さな山からは、


粘土、梨目(なしめ)土、真砂土、大小の岩石と、

様々な性質のものがあり、


近くの埋め立て地、庭石にその分を得て働きました。

 

今、この会堂を支える石垣の石もそうです。

 

年老いた一人の石工(いしく)は、


ある石をあるがままに

ホイホイと積み上げて、

 

まことに素朴に生かして使いました。

 

 

 



 

  

 

月が満ち、月が欠け、
干ばつと冷害が この地を通って行きました。

 

世界を覆う インフレの波が、

じわじわと押し寄せるさなかと


教会堂建築とが ブツカリ合いました。

 

新しい教会堂の構想は、
兄弟たち、教会学校の生徒たちで練りました。

 

大きな夢はあっても


厳しい条件の中で、

切り詰めた 最小限のものになるでしょう。

 

一家族ほどな兄弟たちの口からは、

悲観的な言葉もしばしば出ましたが、

 

いつの間にか

 

「   かみさまが ついとりゃ~、

どねにか なら~  」

 

といった風に進みました。

 

それは弱いところにこそ 神の力が現れる という

聖書のことばを 体験したからでした。

 

 

 



  

 

さて、

 

ここに一組の大工の親子があって、
この兄弟たちの構想に


理解と協力を 示してくれることになりました。

 

今どき、


古い建物をうまく生かして作るというのは、

はやりません。

 

金儲けにならないからです。

 

 



  

 

設計図面の中の半分は、

立ち退きを迫られ取り壊した

足守伝道所の

古い柱を使うことになるでしょう。

 

しかも、工事のなかばより、

いっそう困難な事態が加わりました。

 

材木の高騰、セメント不足、アルミ不足、

鉄の不足、ガラスの不足、ビニール不足、

 

教会建築は一時中断もやむを得まいかと思われるほどの、

暗い先行きでありました。

 

そんな中で、少しずつ、少しずつ

工事は進められて行きました。

 

人が使い捨てた、ススで黒くなったレンガを使って風呂が搗(つ)かれ、

廃材を溶接して作られた ボウトウ(ボルト)も使われました。

 

 

口数少ない大工の親子から教えられた事は

他にもたくさんの事がありましたが、

 

これもまた、

別の処で多く語らねばならないでしょう。

 

 

 



  

 

皆さん、この会堂を出て下の石垣から上を見上げて下さい。

 

石垣の石、大きな石、ちっちゃな石、丸っこい石、三角のとがった石、

肩を寄せ合って、腕を組みあっているでしょう。

 

その上に建った教会堂

今では中身は見えませんが柱を探ってみて下さい。

 

その一本一本が、全国から寄せられた尊い献金の数々であることを。

 

その柱の、あるものはバザーで売った縫いぐるみであるかも知れません。

 

また、床板の一枚は夏のアルバイトで稼いだ日当であるかも知れません。

 

また、電灯の一つは夜々の内職で得た給金であったかも知れません。

 

 

どんな形を取っているにしても、

そのどれもが、強いられた献げものではありません。

 

ある者は医者で、ある者は農工で、

ある者は運搬で、ある者は製造で、

 

全国の聖書で結ばれた多くの祈りが働いて

この教会堂は出来ました。

 

 



  

 

ここに至る道のりにあった 数々の障害、
身に降りかかった危険、中傷、争い、

 

寄せられた厚意、交わり、喜び、

 

それらの一つ一つを述べれば、
多くの言葉が必要でしょう。

 

それらの一つ一つが、
兄弟たちの信仰を固める 神の教えであったことを、

 

今、初めて知るのです。

 

 

十文字山にまかれた、

たった一粒の種のことを想うとき、


その50年の流れを偲ぶとき、

 

そこに、生きて働く神の意志を知るのです。(完)